今、危機にある哲学を救う |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

今、危機にある哲学を救う

現在観測 第30回

ラファエロ「アテナイの学堂」ヴァチカン宮殿

哲学はいま危機に瀕している

 では、哲学の歴史のなかで、哲学はどのように位置づけられてきたでしょうか。具体的なプロセスについては長くなってしまうので、ここでは触れられません。その代わりに、別の言い方で表現してみたいと思います。

 近代から現代における哲学上の最大の“発見”は、真理なるものは存在しないということです。世界や人生の究極の答えは、そもそも存在しません。このことは今日の哲学の定説であって、覆すことはきわめて難しい。それまでの考え方を根本的に書き換えるような考え方を示さないかぎり、ほぼ不可能です。

 もっとも、「真理が存在しないことなど知っている」と思うひともいることでしょう。あのニーチェだってそう言っているじゃないか、と(正確には、ニーチェは真理は“ねつ造”されたものであるとしました)。ただ、その事実がもつ“威力”をきちんと受け止めるのは、意外と難しいことです。

 真理が存在しないことについての自覚は、「世界や人生に決まった意味はない」という理解にとどまりません。それを超えて、一切の価値や意味の相対化にまで行き着きます。価値の相対化は、自分の理性で考えることについての無力感をもたらし、この無力感を動力源として、無数の独断論とシニシズム(冷笑主義)が蔓延するに至ります。この2つに挟まれて、いま哲学は危機に瀕しているのです。

 本屋さんの店頭を見てください。「私こそが真理を説いている!」としたり顔の“知識人”のいかに多いことか。哲学の可能性を信じているようで、内心は独断を振りまきたがっている“先生”のいかに多いことか。こうした状況に違和感や絶望感を覚えるひとは、私だけではないはずです。

 

哲学の“軌跡”をつなぐ

 ただ、このような危機は歴史上何度か繰り返しており、それについては、ひとつの有力な解答がすでに示されています。それは、哲学とは概念を使って普遍的な共通了解を創り出していく共同作業である、という考え方です。

 哲学のうちに“正解”を探しても無駄です。どれだけ哲学書を読んでも、そこから人生や世界の秘密を取り出すことはできません。ただ、そこで諦めたらオシマイです。むしろ、そのことを深く了解したときに、初めて哲学の営みは、新たな段階に踏み出すきっかけを手に入れます。それぞれの生の場面から、深い納得をもたらすような概念をともに作り出し、交わし合うことで、生をより豊かに生きる可能性が、そのとき開かれてくるのです。

 哲学は開かれた営みです。誰が何を言っても原則的に自由です。大事なのは優れた概念を「哲学のテーブル」のうえに載せることであって、権威は事後的な結果にすぎません。“偉人”の言葉をありがたがり、自分で考えることを諦めた瞬間、哲学の“魂”は死んでしまいます。

 いま古典として知られている哲学者は、ほぼ例外なく、権威や習俗の圧力にこらえて、ただ自分の理性に従って考えてきました。私たちは、彼らの作品のうちに、普遍的な共通了解を創り出そうとする努力の軌跡を読み取ることができます。その軌跡は、しかし、無力感の重みで、いまやほとんど途切れかかっています。この軌跡をつなげていくことができるかどうかに人間性の未来がかかっていると言っても、決して過言ではありません。そうした営みとして哲学を生きるなかで、哲学の可能性は、具体的な形を取って結実してくるはずです。

オススメ記事

平原 卓

ひらはら すぐる

1986年北海道生まれ。早稲田大学文学研究科修士課程修(人文科学専攻)。哲学者。哲学解説ウェブサイト「Philosophy Guides」主宰。著書に『読まずに死ねない哲学名著50冊』(フォレスト出版)、『自分で考える練習』(KADOKAWA)など。


この著者の記事一覧